私は人に気持ちを伝えることが苦手です。
というのも、私の気持ちを伝えたところで、人は人でしょ、と考えてしますからです。
しかしながら、これまで21年間の人生の中でアウトプットは大切なことなのだと考えるようになりました。
例えば、勉強をしている場面。人に教えているところを想像しながら、勉強するととても理解が深くなります。
私は大学受験のときにある先生からそう教わりました。
そして私の愛読書であるFさんの「20代で得た知見」には、
〈63〉それでもアウトプットがすべてである
恋は幻、愛はシャボン玉。幸福も不幸も、錯覚です。それだけではない。 仕事をしていたら、とりあえず仕事した気になる。勉強していたらとりあえず賢くなった気になれる。しかし実際の仕事も勉強も、ほぼ作業。「なにかをしている錯覚」をすると、人生をまるごと錯覚する。だからこそ生きた証として、アウトプットです。 多ければ多いほどよい。強ければ強いほどよい。早ければ早いほどよい。あなたと同じことを考えている人は、あなたに遠慮なんかしてくれません。緻密さは二の次。 アウトプットは、できれば企業の者として行うのではなく一人の個人としてであれば、尚よい。ある日オフィスが爆破されても、あなただけの知見は役に立つ。 そのためのインプットです。遊ぶのは働くため、聞くのは話すため、読むのは書くため、見るのは作るため。その予定を貪欲に立て続け、予定外をも併せ呑み、なにかを発表せねばならんのです。善も、悪も、ひたすらに、急げ。
F「20代で得た知見」(2020)
この文章を読んだとき、私は心が震え、今すぐにでもアウトプットしたくなりました。
これから、私の人生観、知見を皆さんに伝えられたらと思います。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。